説教(メッセージ)

2018年8月


2018.8.26


測り知ることのできない神の平安が…

            ピリピ4(先週の説教から)

  いよいよ手紙の最後になって、パウロはピリピ教会の人々が「星

のようにこの世に輝いて」(2:5)欲しいと願い、そのためにはど

うあるべきかを語ります。

 先ず、改めて「主にあっていつも喜びなさい」と、喜びを強調しま

す(→3:1)。「あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい」と

言うように、彼らを取りまく環境がどんなに厳しくても、「主は近い」

のです(→詩145:18、ローマ8:31。無理に笑顔を作らなくても、

主にある喜びがあれば大丈夫です(松山静師「埋れ火の信仰」、<灰

の下にある炭火>!)。

 「何事も思い煩ってはならない」(→マタイ6:25以下)のですが、

  「祈と願いを…神に申し上げ」るべきです。「信頼が平安をもたらす

のは、私たちが祈りにおいて自分を訓練する場合だけである。」(カル

  ヴァン) ストレスの多い世の中で、相手を知らずに祈るのではなく

(「お百度参り」!)、安心して祈れる者は幸いです。

 最後には一般的勧告として、「すべて真実なこと…称賛に価するも

の」(全部で8つ!)を「心にとめなさい」(計算に入れなさい)と、

世間一般の良識に配慮する必要を教えます。その上で、「わたしから

学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たこと」(全部で4つ!)

「実行しなさい」と教えます(仏式の葬儀での焼香!)。

 クリスチャンにとっては、「神の平安が…キリスト・イエスにあっ

て守る」ことが出来ます(→マタイ11:28「われ汝らを休ません」)。

  「安かれ、わが心よ」(讃290番)と歌う者は幸いです。