2024.1.7

 

互いを築き上げることを追い求めよう…」

     ローマ141319


 昨年、主日礼拝や祈祷会で教えられた中から、今年の「年間聖句」を選びました。教会の建物のことを考える中で(→「思い出の大阪教会」)、私たちが信仰生活を築き上げるように励むことを教えられた次第です。

 第一はヨハネ福音書11章から「イエスは…ラザロが病気だと聞いてから、なお二日間、同じ場所に滞在された」です。マルタとマリアが弟のラザロの病気を知らせても、主はすぐには行かれません。彼女たちに、また弟子たちに「忍耐強い信仰」を持たせようとされるのです。マルタは「私は信じています」と力強く信仰を言い表します(マルタの名誉回復!)。

 第二はローマ書1章のパウロのローマ訪問の理由です。「霊の賜物を…分け与えて力づけ…互いに持っている信仰によって…励まし合いたい」のです。まだ行ったことのないローマ教会の信徒たちに会って、彼らに「強い信仰」を与えると共に、自分も彼らから信仰の励ましを受けたいと願うのです(→「友あり遠方より来る」→信仰の孤立化の問題)。

 第三はローマ書14章です。この手紙は神学の教科書になるほど深い内容を持っています。「およそこのローマ書を理解する人は、全聖書の、いわば突破口、また門戸を持つのである。」(カルヴァン) その最後で、偶像に供えた肉を食べることを恐れる初心者を、ベテランの信仰者は助けるべきだとパウロは語ります(詣と信仰者)。信仰生活について、自分のことだけでなく、「互いを築き上げる」(建物のように!)べきだとパウロは励ますのです(砂場で山を作る子を助ける年上の子)。

 「追い求めよう」とあるように、ずっと続けることも大切です(ウオーキング)。「わが君イエスこそ、救いの岩」(讃280番)と歌いつつ、その土台の上にお互いの信仰を築き上げるような教会でありたいものです。

 










2024.1.14


キリストの福音をあまねく宣べ伝えて…」

       ローマ151421


 15章の前半まででローマ書の中心的部分を書き終えたパウロは、後半ではこれまでの締めくくりのようなことを書きます。彼は手紙の終わりで、自分はキリストの福音を全世界の人々に伝えたいのだ、と語ります。

 これまで書いたことがローマ教会の人々を不快にさせたかも知れないので、「記憶を新たにしてもらおうと、この手紙ではところどころかなり思い切って書きました」と心憎い配慮を示します。それも結局、「神の福音のために祭司の役を務め…異邦人が、聖霊によって…御心に適う供え物となるため」だと、自分の使命を確認します(→12章「理に適った礼拝」)。

 その使命を立派に果たしたと「キリスト・イエスにあって誇りに思っています」と言えるほどですが、同時に「キリストが私を通して…しるしや奇跡…神の霊の力によって」であったと謙遜です(Ⅱコリント11章「ダマスコの逃走事件」)。これまでに「エルサレムからイリリコンまで巡って…福音をあまねく宣べ伝えて」来たというのが彼の誇り(自慢)です(→

使徒20章「マケドニア州…を巡り歩き」→計画的信仰)。

 「キリストの名が唱えられていない所で福音を告げ知らせ…他人の築いた土台の上に建てたりしない」ように彼は「熱心に努め(口語訳「切に望んだ」→直訳「野心を燃やし」)たのです(→シンプソン「未伝地伝道」→カルヴァン「使徒としての務め」→使徒ペトロやヨハネの場合)。預言者もまた「彼(メシア)のことを告げられていなかった人々が見…悟るようになる」(イザヤ52章)日が来ることを待ち望んだのでした。

 パウロは「福音をあまねく宣べ伝えて」(→口語訳「福音を満たして」)来たと語り、これからもそうするつもりです(イスパニアへ!)。私たちも「救いの恵み…あまねく人に得させまほし」(讃502番)と歌うのです。








2024.1.21



「キリストの祝福を溢れるほど携えて…」  

      ローマ15:22-33


 手紙の最後、パウロはこれからの自分の予定について語ります。今は第3回目の宣教旅行も終わりに近づいています。彼はここで今後の計画について述べて、ローマのクリスチャンたちの協力と祈りを求めます。

 これまで彼はギリシャ地方の伝道に忙しくて「あなたがたのところへ行くことを、何度も妨げられて」きました。やっと今になって「もうこの地方に働く場所がなく…長年、切望してきたので」イスパニアへ行く途中で「あなたがたに会い…しばらく…共にいる喜びを味わって」から「送り出してもらいたい」と彼らの協力を期待します(僻地に拠点を置く幻)。

 その前に彼は「聖なる者(クリスチャン)たちに仕えるためにエルサレムに行く」という計画を実行します。ギリシャの「マケドニアとアカイアの人々が…貧しい人たちを援助する」というプロジェクトに賛成してくれたのですが、それはユダヤ人に対する異邦人の義務です(信仰の先輩と後輩!→ガラテヤ2章「エルサレム会談」→使徒11章「飢饉の訪問」)。パウロは「募金の成果を…確実に手渡したら」(小事に忠実!)、安心して「キリストの祝福を溢れるほど携えて」ローマへ行くつもりです。

 この困難な仕事のために彼は「①ユダヤにいる不従順な者たちから救われ…②私の奉仕が聖なる者たちから喜んで受け入れてもらえ…③あなたがたのもとで憩うことができる」ように、「我と共に力を尽くして神に祈れ(文語訳)と執り成しの祈りを求めます(カルヴァン「賛美感謝、懺悔、執り成し、願い」)。祈りは戦いです(→創世記32章「ヤコブの格闘」)。

 パウロとしては「キリストの祝福」という「おみやげ」をもってローマへ行きたいのです。「主よ御手もて引かせたまえ」(讃285番)と歌いつつ、苦しみを乗り越えて前進する者は幸いです。

 








2024.1.28

聖なる者たち一同によろしく…」  

        ローマ1616


 手紙の本文が終って、パウロはローマ教会の人たちに個人的な挨拶を書きます。ここには沢山の個人名が出て来ますが、彼の信仰の友です。彼らを紹介して、ローマのクリスチャンたちと協力させたいのです。

 「ケンクレアイ(コリントの港町)にある教会の奉仕者(口語訳「執事」)でもある…フェベ」は、多分この手紙を持参した女性です。「聖なる者(クリスチャン)にふさわしく、主にあって彼女を迎え…」とパウロは願います(力強い推薦状!)。「彼女を尊敬せず、人間味のある扱い方をしなかったら、キリストの僕には似つかわしくない。」(カルヴァン) 

 以下ではローマ在住のクリスチャンたちを紹介します(「よそ者」の悲哀!→「大阪人」の資格)。「私の協力者であるプリスカとアキラ」(→使徒18章「テント造りの夫婦」)は「命懸けで私を守ってくれた」恩人です。「彼らの家の教会」も大切です。「愛するエパイネト」はパウロには「アジアの初穂」であり、「非常に労苦した(年老いた)マリア」も、「アンドロニコとユニア(女性名)」も、それぞれに優れた信仰者です。

 パウロは「その他大勢」の名前も挙げて紹介します(→奴隷身分の者や大きな屋敷で働いている者たち)。その中に「主にあって選ばれたルフォスとその母」とあり、「彼女は私の母でもあります」とパウロは特に名前を挙げて感謝します(→マルコ15章「十字架を負わされたシモン」)。そういうローマ在住の「聖なる者たちによろしく」と言った上で、アジアやギリシャの「キリストのすべての教会が…よろしく」と伝言するのです。

 「よろしく」という挨拶を交わすことによって、教会は「タテの交わり」と共に「ヨコの交わり」を強くすることが出来ます。「わが主の御前に喜び集いて」(讃537番)と歌いつつ、交わりを喜ぶ者は幸いです。