2019.5.5



■「あなたを祝福し

            創世記121-4

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムの物語(創世記12-24章)を読んで、信仰者としての生き方を考えます。彼は主なる神に選ばれて大きな祝福を受け、その祝福を多くの人々に伝える者とされます。

 ノアの3人の息子のうち、信仰深いセツの子孫としてテラが生まれます。そして、「テラはその子アブラム(後のアブラハム)…を連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが…ハランで死んだ」(11:31、32)とあります(→ヨシュア24:2)。ハランでの生活が安定した頃、「時に主はアブラムに言われた」とあり、「国を出て…わたしが示す地に行きなさい」と命じられます(小成に甘んじるな!)。

 躊躇する彼に、主は約束して、「大いなる国民とし…祝福の基となる」だけでなく、他の人々が「あなたを祝福する者」となると言われます。「あなたをのろう者」がいることも隠されません。「神の子たちはどんなに平和を願っても、敵なしでいることは出来ない。」(カルヴァン) それでも、「すべてのやからは、あなたによって祝福される」と言われて、彼の心は動きます(「福音のお福分け」!)。

 すっかり気持が軽くなって、「アブラムは主が言われたようにいで立った」のです(→ヘブル11:8「信仰によって…行く先を知らないで出て行った」)。彼は主の言葉に自分の人生を賭けたのです。「アブラムは…75歳であった」とあるように、主のために新しいことを始めるのに年齢は関係ありません(「もう遅い」とは言えない!)。

 主なる神の「あなたを祝福する」という言葉が、アブラムを立ち上がらせます。主イエスもまた、私たちのために「良き友となりて常にみちびき」(讃354番)、共に冒険の旅を歩んでくださいます。

 

 



2019.5.12



■「主の名を呼んだ

            創世記125-9

 アブラムは家族と共に、ハランを出て主が約束されたカナンの地へ入って行きます。彼が予想していた以上に厳しい現実がありますが、そういう中でも主の祝福を求めつつ生きて行きます。

 その時のアブラムには、「妻サライと、弟の子ロト(→11:27)」という良い家族があり、「集めたすべての財産」(主として家畜→13:2)、それに「ハランで獲た人々」(働き人たち)がいます。祝福された生活です(→マタイ6:33「先ず神の国を…」)。

   カナンの地に来て、彼は「シケムの所、モレ(「託宣」)のテレビン(樫)の木」という樹木礼拝が行われていた場所に住みます。「カナンびと」という原住民がいて、彼らは異教徒です。主が現れて「この地を与えます」と言われ、「アブラムは…そこに祭壇を築いた」とあり、そこで真の神を証しする生活を始めます(伝道の拠点を与えられた喜び!)。「人々に対する外的な告白を付け加えることなしには、心の中の内的な礼拝だけでは十分ではない。」(カルヴァン)

 しかし、彼はしばらくすると、「ベテルの東の山に移って天幕を張った」とあります。そこは人里を離れた場所で「西にはベテル、東にはアイ」と、町は遠いのです。シケムでの生活に疲れたようです(→燃え尽き症候群!)。そこでも彼は「主のために祭壇を築」きますが、そこで自分のために「主の名を呼んだ」のです(弱いアブラム!)。

らに南の「ネゲブ」という砂漠地帯にまで逃げて行きます。

 「われ深き淵より汝を呼べり」(交読文31番・詩103篇)というような苦しみの中で祈る者は、望みを与えられます。「恵み深き主の他、誰か我を慰めん」(讃525番)と歌いつつ、主にすがる者は幸いです。

 




2019.5.19


     

■「アブラムはエジプトに寄留しようと

            創世記1210-20

  

   ネゲブに移り住んで安穏な生活に落ち着いた頃、主はアブラムに試練を与えられます(→詩119:71「苦しみにあったのは良い事」)。彼は大きな失敗をしますが、主は大きな力で守られます。

 静かな生活をおびやかすように、「その地(カナン)にききんがあった」ために、アブラムたちは仕方なく、豊かな穀倉地帯であったエジプトに行きます(→マタイ2章「エジプトに逃れる主イエス」)。アブラムは妻サライに、「あなたが美しい女」(実際は若かった!)なので、「わたしの妹だと言ってください」(→20章「異母兄妹」)と、信仰者らしくない小細工をします(人間の弱さ!)。

 「エジプトびと」も「パロの高官」も、「たいそう美しい人」だとほめるので(権力者に媚びる人々!)、サライは「パロの家に召し入れ」られます(ハーレムの女!)。「パロは…アブラムを厚くもてなし」ます。彼は心の広い人物です(→20節「すべての持ち物」)。

 アブラムの小細工が大きな失敗になりそうな時、「主は…妻サライのゆえに、激しい疫病をパロとその家に下され」ます。「この例によって…私たちは神にとって貴重なので…宣戦を布告されることを知るのである。」(カルヴァン) 「あなたはわが目に尊く(貴重で)、重んぜられるもの」(イザヤ43:4)と言ってくださる主なる神が、私たちを救うために働かれるのです(→主イエスの十字架)。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムですが、こういう弱さを持っているのです(→20章「2度目の失敗」)。私たちも同じです。「主のまことは荒磯(ありそ)の岩」(讃85番)と歌いつつ、どんな荒波が来ても動かされることのない御方のもとに来ましょう。

 




2019.5.26

   

■「あなたが左に行けばわたしは右に

            創世記131-13



 アブラム一行はエジプトからカナンに帰って来ます。アブラムとロトの間に、財産をめぐってトラブルが起こりますが、アブラムは損をしてでも平和な解決の道を選び、主なる神はそれを喜ばれます。

 「アブラムは妻(サライ)とすべての持ち物を携え」て帰り、「初めに築いた祭壇の所(ベテルとアイの間)に行き…主の名を呼んだ」(→12:8)とあります。「この聖なる人物(アブラム)は、神を礼拝することと信仰を証しすることについて変わらなかったのである。」(カルヴァン) 大きな失敗をしても、彼は悔い改める(→ヘブル語「シュ―ブ」→讃517番「帰れや」と呼ばれる主)ことが出来ました。いつでも主のもとに帰って来ることが出来る者は幸いです。

 「ロトも羊、牛および天幕を持っていた」(別の世帯!)ために、お互いの「家畜の牧者たちの間に争い」が起こります。周囲にいるカナン先住民に対して「証しにならない」ので、アブラムはロトに対して寛大な申し出をします。「あなたが左に行けば…」と、ロトに選ぶ権利を譲るのです(「時を失する」ことをしないアブラム!)。

 ベテルの高地から見ると、「ヨルダンの低地」は「すみずみまでよく潤って」いました(地図の緑の部分!)。ロトは目先の欲にかられて「低地の町々に住み、天幕をソドムに移」し、それは悲惨な結果になります(→14章)。アブラムは信仰的にも人生の上でもロトの先輩なのですが、そういうロトを主の御手に委ねるのです。

 アブラムは「狭い門…細い道」(マタイ7章)を選び、孤独になります。それでも主は近くにおられます。「み恵み豊けき主の手に引かれて」(讃294番)歩む者は、何もかも失ったようでも平安なのです。