2019.12.1


■「恵まれた女よ、おめでとう

         ルカ1:2638

  主なる神は、エルサレムからずっと北にあるナザレの村に住む平凡な一人の女性(マリヤ)を選んで、救主の母となる役目を与えられます(ナザレの「受胎告知教会」!)。そして、彼女は従います。

ザカリヤの時と同じ天使(ガブリエル)が「六か月目」にマリヤの所に来て、「恵まれた女よ…主があなたと共におられます」とあいさつします(「アヴェ・マリヤ」→「めでたし、聖寵満ち満てるマリヤ…罪人なる我らのために…祈りたまえ」)。実際の彼女は、「ひどく胸騒ぎがして…」とあるように普通の女性です。しかし、それから逃げないで「思いめぐらす」信仰者でした(→Ⅰペテロ4:7)。

  天使は、「恐れるな、マリヤよ」と励まして、「見よ、あなたは…男の子を産むでしょう」(「受胎告知」)と言い、その名を「イエス」(→ヘブル語「エホシュア」→「主は救いたもう」)だとします。彼は「いと高き者(神)の子」と称えられ、「父ダビデの王座」を継ぐ者(メシア)となるでしょう。マリヤは「わたしにはまだ夫がありませんと疑問を投げかけます(「小成に甘んじる」信仰!)。 

天使は対話の相手を尊重する「ユーモアのある話し方」をします。「聖霊があなたに臨み…生まれ出る子は「(罪のない)聖なるもの」であるとし、「親族エリサベツも…六か月…神にはなんでもできないことはありません(→創18:14「サラ」)」と安心させます。マリヤはそれに応じて、「お言葉どおり…」と納得して従います。「信仰だけが私たちを神に服従する者にする。」(カルヴァン)

マリヤは「主があなたと共に」(→出エジプト3:12)と信じて、「主よ、み手もて」(讃285番)と歌いつつ前進するのです。



2019.12.8



■「わたしの魂は主をあがめ

          ルカ1:3956


 主イエスをみごもったマリヤは、ユダの町に住むエリサベツを訪ねます(エン・カレムの「訪問教会」!)。資格のない者に対して大きな恵みを与えてくださる主なる神に、共に感謝し賛美したいのです。

「マリヤは立って…山里に向かい…」と行動的です。「親族エリサベツ」(彼女とマリヤの母が姉妹?)は「主の母上がわたしのところにきてくださるとは…」と感激し、「あなたのあいさつがわたしの耳にはいったとき、子供(洗礼者ヨハネ)が胎内で喜びおどりました」「聖霊に満たされて」賛美します(私たちの礼拝!)。

それに応えて、マリヤも「わたしの魂は主をあがめ(ラテン語「マグニフィカート」)」と賛美し、何よりも「この卑しい女をさえ、心にかけて」くださったことで、主の優しさに感動しています。「今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう」とマリヤが喜ぶのは、彼女を特別な存在にする理由にはなりません(→ルタ―『マリヤの賛歌』)。誰でも、「そのあわれみは、代々限りなく、主をかしこみ恐れる者(たち)に及」ぶのです。

マリヤはさらに主の力強さを賛美します。「主は御腕をもって…おごり高ぶる者を追い散らし(→創世記11章「バベルの塔」)…富んでいる者を空腹のまま帰らせ…」と「強きをくじき弱きを助ける」神を賛美し(→サムエル上2章「ハンナの祈り」)、「父祖アブラハム」に与えた約束を守って下さると信じます(→7章「平地の説教」)。

「わたしの魂は…」と賛美するマリヤです。「マリヤは心の内的な感動によって神を賛美している。」(カルヴァン) 本当に主を知る者こそ「わが心は…よろこぶ」(讃96番)と歌うことが出来ます



2019.12.15



■「ザカリヤの口が開けて

        ルカ1:5780


 洗礼者ヨハネの誕生が告げられてから(→1:5-26)、約10か月後に「エリサベツは…男の子を産」みます。口が開けたザカリヤは、主なる神が救主を与えてくださることを大声で賛美します。「8日目に…割礼をする」(→創世記17章「アブラハムの割礼」)ことになり、祝いに集まった人々は「父の名にちなんでザカリヤという名にしよう」とします。先にエリサベツが反対します。「ザカリヤは子供の名前について天使が告げた事柄(1:13)を書いて妻に知らせたのであろう。」(カルヴァン)そして、口のきけない彼(「聾唖者」ではなく「唖者」)が書板に「その名はヨハネ」と書いた途端に「口が開けて…神をほめたたえ」ます(罰の終わり!)。彼にとって「苦しみにあったことは…良い事」(詩119:71)になりました。

 彼は「聖霊に満たされ、預言して」、先ずマリヤから聞いた救主について、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな(ラテン語「ベネディクトス」)…その民を顧みて…救の角(詩18:2)を僕ダビデの家にお立てになった」と賛美します(親類自慢!)。

    次に、「幼な子よ」と自分の息子に呼びかけて、「主(イエス)のみまえに先立って…その道を備え…救をその民に知らせる」大切な役目を果すことを誇らしく語ります。その働きは「日の光が…暗黒と死の陰とに住む者を照らし…平和の道へ導く」ような輝かしいものになるでしょう(息子自慢!)。彼は「荒野」に住みます(→3:2)。

 ザカリヤは今、「きよく正しく、みまえに恐れなく仕えさせてくださる」主なる神に対して、思う存分に賛美をささげます。口を開いて「喜べや、たたえよや」(讃130番)と歌う者は幸いです。



 

2019.12.22



■「すべての民に与えられる大きな喜び


          ルカ2:1

  主イエスは、ヨセフとマリヤの住むナザレではなく、旅先のベツレヘムで生まれられます(→ベツレヘムの「降誕教会」)。神の御子は貧しい生まれ方をされますが、暖かく迎えられます。

歴史家ルカは、「そのころ、全世界の人口調査をせとの勅令が、皇帝アウグスト(在位BC27~AD14)から出た」と記します(→太閤検地)。「ダビデ(王)の家系であり…血統」であったヨセフとマリヤは、「ベツレヘムというダビデの町」(本籍地!)へ行き、慣れない土地で「客間には彼らのいる余地がなかった」ので、「マリヤは月が満ちて、初子(イエス)を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせ」るほど貧しい有様です(→ピリピ2章「僕のかたち」)。

 主なる神は、「野宿しながら羊の群れの番をしていた」貧しい羊飼たちを招いて、御子の誕生を祝わせようとされます。天使が現れて、「すべての民に与えられる大きな喜び…あなたがたのために救主がお生まれになった」と知らせ、「幼な子が…飼葉おけの中に」という「しるし」を教えます。天の軍勢が加わって、「いと高きところでは、神に栄光(ラテン語「グローリヤ…デオ」)…地の上では平和」と御子将来を祝します。誰でも普段着でお祝いに行けます(礼拝!)。

    羊飼たちは、「さあ、ベツレヘムへ行って…とすぐに出掛けて、「幼な子を捜しあて…人々に伝え」ます。マリヤは「これらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらして」います(母の深い愛情!)。

 すべての民が御子の誕生を祝うように招かれています。「この天使ちの合唱に加わるのを拒むとは、何と強情なことか」(カルヴァン)。

  「今日しも御子は、生まれたまいぬ」(讃106番)と賛美しましょう。

 

 


2019.12.29



■「幼な子を主にささげるため

          ルカ2:


  主イエスが誕生されたあと、どういうことがあったか、ルカは小さな出来事も取り上げて記します。ここに登場する人たちは、主の誕生を見て喜びます。主にお会いする者は誰でも幸せになるのです。

両親のヨセフとマリヤは、8日目に主に割礼をほどこして「イエスと名づけ」、さらに40日目には「律法による彼ら(母と子)のきよめの期間が過ぎ」たので(→レビ記12章)、「母の胎を初めて開く男の子」(出エジプト13:2)として聖別するために神殿へ行きます(罪人となる神の御子!)。彼らは貧しくて「山ばと一つがい(2羽)」(レビ12:8)しか捧げられませんが、愛情豊かな両親は幸せです。

 「イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」シメオンという信仰者は、「御霊に感じて宮にはいり」ます。そこで幼な子イエスに会い、「主よ、今こそあなたは…この僕を安らかに去らせてくださいます」(ラテン語「ヌンク・デミティス」)と、救主を見て満足するのです。彼はまたマリヤに「あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう」と主の受難を予告します。「余りに素晴らしい始まりのために有頂天にならないよう、マリヤは警告される必要があった。」(カルヴァン) シメオンのように言って生涯を終える者は幸せです。

「アセル族の…アンナという女預言者」は「やもめぐらしをし、84歳」ですが、主イエスに会って、「神に感謝をささげ」ます。そして、「救いを待ち望んでいるすべての人々に語り」て幸せです。

 幼な子イエスは、神殿で神にささげられますが、それから30年後には十字架でご自身をささげられるのです。この救主と出会った者は誰でも「主イエスを知りたる嬉しきこの日や」(讃516番)と歌います。