2019.7.7



■「主はアブラムと契約を結んで

           創世記21


 「あなたの子孫にこの地を与えます」(12:7)という主の約束について、ここでは改めて契約が結ばれます。主なる神は不可能なように見える約束をしても、必ずそれを実現してくださるのです。

 「わたしはこの地を…継がせようと…導き出した主」と言われるので、アブラムは思い切って、「わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか」と尋ねます。主は彼に、「三歳の雌牛…二つに裂き…互いに向かい合わせて置」かせられます(→エレミヤ34:18「契約の準備」)。「荒い鳥」(サタン?)が邪魔しますが大丈夫です。「神が私たちの信仰を固くするために差し出される支え(聖礼典!)が…からかっているように見えても受け入れよう。」(カルヴァン)

 夕方、「アブラムが深い眠りにおそわれた時」(→創2章「アダムの眠り」)、「大きな恐ろしい暗やみ」の中で、主は400年後までの出来事を示し、「あなたの子孫は他の国(エジプト)に旅びととなって…四代目になって…帰って来る」と、苦難と勝利を予告されます。

 日没となって、「煙の立つかまど、炎の出るたいまつ」(主の臨在の象徴!)が、「裂いたものの間を通り過ぎ」ます(契約成立!)。「この地をあなたの子孫に与える」という約束は、具体的には「アモリびと(カナンの全住民の代表)の悪」が満ちた時、エジプトから帰って来たイスラエルの民によって吸収・同化が行なわれるでしょう。

 ここで主はアブラムと「契約を結んで(ヘブライ語「切る」)」とありますが、切り裂いた動物の間を通るのは主だけです(神の本気さ!)。

 一方的な神の愛です(→ヨハネ3:16)。「真実(まこと)なる御神を頼める者」(讃304番)は、力強く生きてゆきます。

 


2019.7.14



■「アブラムの妻サライ

             創世記

 かつてアブラムはエジプトへ寄留しようとして、妻サライを妹だと言って小細工をしました(→12章)。ここではサライが、主の約束を待てなくなって小細工をして失敗します。主は見守っておられます。

 「アブラムの妻サライは子を産まなかった」というのは事実ですが、もう少し待てば良かったのです(→21章)。しかし、彼女はあせって小細工をします。「エジプトの女で名をハガルといった」自分の侍女をアブラムに与え、「彼女によってわたしは子を持つことになるでしょう」と願うのです。「サライは長い遅れに待ちくたびれて…神の言葉とは無縁な解決手段を求めた。」(カルヴァン)

 それが実行されて、ハガルはアブラムの子を身ごもります。その結果、「彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるように」なります。「これはアブラムがカナンの地に住んだ後であった」とあるように、それまで模範的に見えた信仰者の家庭に起こったスキャンダルです(一つのボタンのかけ間違いから起る大きな混乱!)。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラムですが、サライの提案に対して、「主を信じて待とう」と言うこともなく従ってしまいます。サライが怒ると、「あなたの好きなように彼女にしなさい」と無責任な言い方までします。結局、「サライが彼女を苦しめ(虐待し)たので、彼女はサライの顔を避けて逃げ」るしかありません(→ルター「罪赦された罪人」)。「我らを…悪より救い出したまえ」と祈るべきです。

   「アブラムの妻」という立場にいたサライが失敗しても、主は彼女見守っておられます。「われ罪人(つみびと)のかしらなれども」(讃249番→Ⅰテモテ1:15)と歌いつつ、主の恵みに頼るのです。

 




2019.7.21


■「主があなたの苦しみを聞かれた

             創世記

 女主人サライの虐待から逃げ出したハガルですが、エジプトへ向かう道の途中で、途方に暮れてしまいます。主はそういう彼女を、そのお腹の子も見捨てず、祈りを聞いて助けてくださいます。

 「主の使(天使)は…(カナンとエジプトを結ぶ)シュルの道のほとりにある泉のほとり」でハガルに会い、孤独になった彼女に、「あなたはどこから…どこへ行くのですか」と根源的な質問をします(→創3:9「あなたはどこにいるのか」と問われる神)。「サライの顔を避けて逃げている」と答える彼女は、反抗心ばかりで行動し(→12節「野ろばのような人」イシマエル)、強がっても弱い人間です。

 「苦しい時の神頼み」的な彼女の祈りを聞いて、主は「女主人のもとに帰」るように命じ、「あなたの子孫を増」すと約束されます。彼女は「男の子を産む」ので、「イシマエル(神は聞かれる)と名づけなさい」と命じられます。その時の祈りが彼女の信仰を成長させます。

 「ハガルは、荒々しく御しがたい性質を持っていたが、神の摂理を今ついに認め始めたのである。」(カルヴァン)

 信仰の目が開いた彼女は、「自分に語られた主の名を…『あなたはエル・ロイ(私を見られる神)です』と言います。自分が祈る前から見守っておられた神のことを、「わたしを見ておられるかたのうしろ(姿)を拝めた」と感謝するのです。その記念となった井戸を「ベエル・ラハイ・ロイ」(私を見ておられる生ける神の井戸)と呼びます。

 「悩みの日にわたしを呼べ」(詩50:15)と招かれる主が、弱い私たちの祈りを聞いて助けられます。「行けども…ただ砂原」(讃249番)


2019.7.28



「あなたの名はアブラハム

             創世記

 ハガルとイシマエルは傍流ですが、本流となるアブラムのサライの子孫の話に戻ります。主なる神は改めて、神の民(神の子どもたち)の父となるアブラムと契約を結び、しるしを与えられます。

 ハランで主が、「あなたを大いなる国民とする」(12:2)と約束された時、アブラムは75歳でしたが、100歳近い彼に「あなたと契約を結び…子孫を増す」と語られ、彼は「ひれ伏し」て同意します。「沈黙によって神の言葉への服従を表明しているのである。」(カルヴァン)

   主は「全能の神」である故に約束を必ず実行されますが、アブラムも「全き者」であるべきです(→Ⅰペテロ1;16「聖なる者」)。

 その契約の内容は、「多くの国民の父となる」ということですが、それは単に「多くの子孫を得させる」だけでなく、「国々の民をあなたから起」すという壮大な計画です。やがて時代が下ると「王たちもあなたから出る」という具合です。それを示すために、テラが与えた「アブラム」(高名な父)という立身出世を願う名ではなく、「アブラハム」(多くの者の父)という、神の使命に合う名に変えさせられます(→マルコ14:36「アバ、父よ」)。

 契約の「しるし」(印)として、「男子はみな割礼を受けなければならない」と命じられ、「あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も」その中に含まれます。こうして肉体に刻み込まれたしるしが神の子とされたことを保証してくれるのです(→洗礼)。

 新約の時代になると、「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができる」(マタイ3:9)と言われます。神の子された者は、「救われし身のさち」(讃529番)わずにおれません。