2024.4.7




『私はいる』という方

                 出エジプト記3:13-22


 モーセが活動する時になりますが、長い間、先祖の神を礼拝する生活から離れているイスラエルの民にどう知らせるかが問題です。神はモーセに、ご自分の名を知らせ、彼をリーダーとして民をカナンに導かれます

 モーセが民に「あなたがたの先祖の神が私をあなたがたに遣わされました」と言うと、「その名は何か」と問われるかも知れません(戦地から帰還した父親を怖がる子ども!)。「彼らの信仰は弱り錆びていた。」(カルヴァン) 神は「『私はいる』という方が私をあなた方に遣わされたのだ」と力強く答えられます(「ヤハウエ」という神名の意味)。

 神はさらに「あなたがたの先祖の神…である主(ヤハウエ)」として、「これこそ、とこしえに私の名…私の呼び名」だと確認されます。その御方がモーセに「あなたは行って、イスラエルの長老(リーダー)たちを集めて…」と命じ、「私はあなたがたを顧み…エジプトの苦しみから救い出し…乳と蜜の流れる地に導き上る」と約束されます(優しい神!)。

 これからモーセと長老たちは「エジプトの王」と交渉して、「ヘブライ人の神、主が私たちに現れました」と告げ、「どうか今…三日の道のりをかけて荒れ野を行かせ…主にいけにえを献げさせてください」と遠回しな要求をすることから始めさせられます(→1章「助産婦たちの知恵」)。今のエジプト王は「強い手によらなければあなたがたを行かせない」ので、主は「驚くべき業を行ってエジプトを打」ち、さらに「銀…金の飾り…外套を…あなたの息子、娘に身につけさせ」るほど豊かに祝福されます。

信仰の弱っている者たちに対して、主は「私はいる」(→口語訳「わたしは有る」)と、優しく語られます(→マタイ28章「いつもあなたがたと共にいる」)。「わが主よ」(讃354番)と歌って従う者は幸いです。








2024.4.14


私があなたの口と共にあり

                   出エジプト記:1-17


 主がモーセ「私はいる」と強く語れらてすっかり元気になったかと思うと、彼はまだ慎重です(フットワークが重い!)。いよいよという時になっても躊躇する彼に、主は様々な約束をして派遣されます。

 モーセの第一の不安は、民が自分を神から力を与えらたと信じないであろうということでした(→1章「誰が裁き人としたのか」→自信喪失)。神は彼の見すぼらしい羊飼い用のや、労働で汚れた手が大きい力になり、ナイルの大河の水も主の力で血に変えることが出来ると約束されますコンプレックスからの解放→サムエル上17章「ゴリアテと戦うダビデ」)。

 彼の第二の不安はもっと深刻です。「以前から…あなたが僕に語られてからでさえ…私は本当に口の重い者」だということでした(吃音?→40年間も話していない言語の問題)。主は「誰が人に口を与えるのか」と言われ。「私があなたの口と共にあり…教えよう」と約束されます。

 そう聞いても彼はなお「どうか他の人をお遣わしください」と言って逃げようとするので、「主の怒りがモーセに向かって燃え」ます。それにも関わらず主は「あなたの兄アロンがいるではないか…彼はあなたに代わって民に語る」と約束されます(→バイリンガル)。「神はこういう譲歩をモーセの弱さのゆえに認められる。」(カルヴァン) タイミングよく「彼(アロン)もまた、ちょうどあなたに会いに来ている」という具合になります(→創世記32章「神と格闘して勝つヤコブ」)。神はモーセに「あなたはこの杖を手にして…しるしを行いなさい」と言って送り出されます。

 コンプレックスを正直に訴えるモーセに対して、主は「あなたの口と共に」と約束を与えられます(→3章「あなたと共にいる」)。「神はわが力」(讃267番)と歌って戦ったルターのように立ち上がる者は幸いです。

 










2024.4.21

モーセは手に神の杖を持って

                   出エジプト記1831


 やっと本気になって立ち上がると、モーセは行動を開始します。40年間も暮らした所から出発するのですから簡単ではありません(→牧師の引っ越し)。主はエジプトへ行く彼のためにいろいろと準備されます。

 彼は先ずしゅうとのエトロに挨拶し、「どうかエジプトにいる親族のもとに帰らせてください」と詳しくは話しませんが、事情を察しているエトロは「安心して行きなさい」と快く送り出します。モーセは「妻と息子たち(ゲルショムとエリエゼル)を連れ、ろばに乗せ」と貧しい姿ですが、「手に神の杖」を持っているので心強いのです。主はあらかじめ「ファラオの心を…かたくなにする」と警告されます(→ローマ9章)。

 途中の宿泊地で「主はモーセと出会い、彼を殺そうと」(急病?)されます。それを息子(エリエぜル)の割礼を怠ったモーセへの神の怒りだと察したツイポラは「火打ち石を取って、その息子の包皮を切り、それをモーセの両足に付け」て、彼に代わって割礼を施します。「彼の熱心さは冷えて生ぬるくなっていた。」(カルヴァン) 「あなたは血の花婿です」彼女なりのユーモアでしょう(→コへレト4章「一人より二人」。

 モーセのことを心配して訪ねてきた兄のアロンが「神の山でモーセに出会い、口づけをし」て喜びます。エジプトに着いた時「イスラエルの長老を全員集め」て、「主がモーセに語られた言葉をアロンがすべて語」ります(信頼できる通訳者!)。「彼らは、主がイスラエルの人々を顧み、その苦しみをご覧になった」ことを聞いて、「ひざまずいてひれ伏し」ます。

 旅に出るにあたってモーセは「手に神に杖をもって」います(→毛布を持って安心する赤ちゃん)。「信仰こそ旅路を導く杖」(讃270番)と歌いつつ、神の助けを信じて歩む者は幸いです。