2023.10.1


ああ…なんと深いことか 

         ローマ112536


    ローマ教会のユダヤ人と異邦人の関係は後のヨーロッパ社会の問題につながります(アウシュビッツ!)。パウロは、神がユダヤ人たちを頑なにすることによって全人類を救われるのだと語って、神を賛美します。

   パウロはオリーブの接ぎ木の例をとり上げて「この秘儀(口語「奥義」)をぜひ知っておいてほしい」と言い、「イスラエルの一部がかたくなになったのは、異邦人(の一定数)が満ちるまでのことで…全イスラエルが救われる」のだと語ります(→イザヤ59章「不敬虔を遠ざける」→エレミヤ31章「新しい契約」)。「パウロはここで、誰一人として期待したことがない事柄を宣言するのである。」(カルヴァン)

  歴史を振り返れば、「福音(イエス!)について言えば、イスラエル人は…神に敵対しています」が、「神の選び(アブラハム!)について言えば…愛されて」います。「神の賜物と招きは(後悔して)取り消される」ことはありません。異邦人もユダヤ人も「神はすべての人を憐れむために、すべての人を不従順のうちに閉じ込め」られたのです(親の愛!)。

   ここに至ってパウロは「ああ、神の富(→2章「豊かな慈愛…」)と知恵と知識のなんと深いことか」と感嘆の叫びを挙げます。「神の裁き…その道」に人間は遠く及びません(→イザヤ40章「主の思い」→ヨブ41章「レビヤタン」→「天の下にあるものはすべて私のもの」)。全人類を救おうとされる主の業を論じて来たパウロは「栄光が神に永遠に…アーメン」賛美します(→『キリスト教綱要』→「神に賛美あれ」)。

  人間は神の恵みの大きさを知って、「ああ…なんと深いことか」と言ううしかありません(親の愛に包まれている幼子!)。「御神の恵みは量り知られず」(讃86番)と歌いつつ、その愛に包まれて生きる者は幸いです。










2023.10.8

 

 

聖なる生けるいけにえとして 

           ローマ12


  11章までで前半が終り、12章からは後半が始まります(→理論と実践→信仰と生活→文武両道)。パウロは「福音に感謝する生活」を語ります。福音を信じて恵みを受けた者は、感謝して神に仕える生活をするのです。

   彼は先ず「自分の体を…いけにえ(口語「供え物」)として献げなさい」と勧めます。形だけの礼拝ではなく、私たちの全生活が「神に喜ばれる聖なる生ける」ものであるべきです(→イザヤ1章「むなしい供え物」)。「これは単に骨や皮を指すだけでなく、私たちの全人格を指す。」(カルヴァン)ういう生き方こそ「理に適った礼拝」であり、主はそれを求めておられます(→讃332番「ハバガルの体験」→「あなたは何をしたか」)。

  具体的には「この世に倣う(同じ形になる)」べきではありません。クリスチャンは「キリストの死にあずかる洗礼を受けた」(6章)者として、生まれ変わっているのです。これからは「心を新たにして自分を造り変えていただき(変身!)、何が神の御心であるのか…わきまえるように」成長しなければなりません(→マルコ4章「茨の中に蒔かれた種」)。

    実際の教会生活では「分を超えて思い上がることなく…信仰の秤に従って」奉仕すべきです(→チームワーク)。パウロはここでも「一つの体の中に多くの部分がある」と言います(Ⅰコリント12章「体のたとえ」)。教会の中では「預言の賜物」のある者(牧師)も「奉仕の賜物…慈善を行う人」(信徒)も一緒に伝道に励むのです(→袴田康裕師「生き生きした礼拝と魂に届く説教」→Ⅰコリント14章「神はあなたがたの内に」)。

  私たちの信仰生活は、ノアのように神に喜ばれるようでありたいものです(→創世記8章「宥めの香り」)。「御恵みを身に受くれば」(→讃448番)と歌いつつ、「いざ進め」と力強く前進する者は幸いです。

 










2023.10.15

 

すべての人と平和に 

          ローマ1221


 「福音に感謝する生活」として、パウロは具体的な問題を取り上げ人関係について語ります(→山陽部婦人大会での説教)。彼はクリスチャンたちが他の人たちに対して愛をもって接するようにと語ります。

  クリスチャン同士では、「愛には偽り(→偽善→仮面劇)があってはなりません」が大原則です。教会内では「悪を退け、善に親し」むようにし、「兄弟愛(→兄弟姉妹の関係)をもって…怠らず…主に仕え」るべきです。信仰的には「希望をもって…祈り」つつ、「聖なる者(クリスチャン)たち…旅人をもてなす」ことも大切です(→使徒2章「初代教会の生活」。

   未信者に対しては、「あなたがたを迫害する者を祝福し…呪ってはならない」が大原則です(→マタイ5章「敵を愛し」→使徒9章「迫害者パウロ」)。「喜ぶ者と共に喜び…泣きなさい」(→松山静牧師と未亡人会)とあり、「互いに思いを一つにし…交わり…自分を賢い者と思ってはなりません」と、謙遜な付き合い方を勧めます(大阪教会と近所の人々!)。

  敵意を持つ人々に対しては、「悪をもって悪に報いることなく…善を行う」ことが大原則です。それが難しい場合は「①できれば…②せめてあなたがた(の方)は、すべての人と平和に過ご」すべきです。「パウロは例外を示すために二つの小さな言葉を付け加える。」(カルヴァン) 苦労人のパウロは「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」と教え、「私が報復する…」(申命記32章)と、「あなたの敵…燃える炭火を頭に…」(箴言25章)とを引用し、「善をもって悪に勝ちなさい」と勧めます。

  「すべての人と平和に…」は理想ですが、「できれば…せめて…」と考えれば、気持ちが楽になるでしょう。「天なる喜び、こよなき愛を」(讃352番)を携えて来られた主イエスを賛美し、近づく者は幸いです。

 







2023.10.22

 

神によらない権威はなく… 

           ローマ13:1-7


  対人関係に続いて、パウロは政治的権力の問題を取り上げます。当時のローマ帝国はネロ皇帝の初期の時代でした。彼は政治的権力が神から来たものであると教え、クリスチャンはそれに従うべきだと語ります。

 「人は皆、上に立つ権力(→口語訳「権威」)に従うべきです」が大原則です。「従う」は「下に身を置く」という言い方で、自発的な態度を意味します(→エフェソ5章「夫と妻が互いに従う」)。「神によらない権力はなく…神によって立てられた」ものだからです(サムエル下12章「ダビデ王の油注ぎ」)。従って「権力に逆らう者は…(神の)裁きを招くことになり」ます(→内戦による無政府状態の悲惨さ)。

  具体的には「支配者が恐ろしいのは…人が悪を行う」ときなので「権力を恐れずにいたいと願うなら、善を行いなさい」と勧めます。「たとえ統治者が…その権力を濫用することがあるとしても…正義の支配の何らかの現れは残っている。」(カルヴァン) 彼らの「怒りが恐ろしいからだけでなく、(自分の)良心のためにも、これに従うべき」です(選挙権)。

  同様にあなたがたが税金を納めている」ことも大切です。「税金(直接税)を納めるべき人…関税(間接税)を納めるべき人」には納めなければなりません(→マルコ12章「皇帝のものは皇帝に」)。結論は「恐れるべき人(→文語訳「畏れるべき者」→神)は恐れ、敬うべき人(皇帝)は敬いなさい」です。主イエスは神殿税も納められました(→マタイ18章「魚の口から銀貨」→ピーターズフィッシュ→ユーモラスな主)。

  神の御子が地上の権力者に対しても「神によらない権力はない」として、進んで従われました。「大工(たくみ)の業をば自ら務め」(讃367番)られた主にならって「力の限りに働かしめよ」と励む者は幸いです。







2023.10.29

 

愛は律法を全うする 

        ローマ13:10


 「福音に感謝する生活」として、パウロは「愛の実際」(12:9-21)対して愛の本質」の問題を取り上げます(夫婦の愛も完全ではない!)。彼はクリスチャン生活で最も大切なものは愛だ、と語ります。

   税金の問題で「自分の義務(負債)を果たしなさい」と述べたのを受けて、パウロは「誰に対しても借り(負債)があってはなりません」と念を押しつつ、「互いに愛し合うことのほかは」と、それだけは例外だとします(→マタイ19章「主イエスと金持ちの青年」)。「人を愛する者は、律法を全うしている」とさえ言います。「自分の隣人を愛する時…すべての律法を全うするというのは常に真実である。」(カルヴァン)

  十戒の第2の板(→出エジプト31章「二枚の証しの板」にある6つの戒めを、パウロは「隣人を自分のように愛しなさい」という言葉に要約します(口語訳「自分を愛するように」による自己愛的誤解!)。この「隣人」は、かつての彼は自分の同族かエリート仲間に限定していましたが、今の彼はもっと広く考えています(→ルカ10章「善いサマリア人」)。

   「愛は隣人に悪を行いません」というのは消極的な感じがするかも知れません(親の教え「人様に迷惑をかけるな」)。しかし、パウロ自身が愛を定義して、「愛は妬まない…礼を失せず…不正を喜ばず」と、15個の戒めの内8個を否定文で言っています(→Ⅰコリント13章「愛の章」)。本当の愛は押し付けるものではなく、相手を思いやることが大切なのです。そういう愛こそが「律法を全うする」ものと言えるのです。

 「宗教改革記念礼拝」の時、ルターが『キリスト者の自由』の中で「キリスト者は自由な君主…奉仕する僕」と言ったように、自由を得た者となり、「主我を愛す」(讃461番)と歌いつつ、人を愛する者になります。