2022.10.2

 

カインにしるしを付けられた…」

創世記16


 エデンから追放されたアダムとエバが新しい世界で生活を始め、カインとアベルが産まれます。人間のは拡大し最初の殺人事件が起こります。

主は大きな罪を犯した人間でも見捨てずにずっと見守られます。

 エバはカインを産んだ時、「主によって男の子を得た(カーナー)」と言って喜びますが、次男には「アベル」(はかない)と名付けます。彼らは成人して主を礼拝します(アダムの信仰教育!)。カインは「土地の実り」をアベルは「羊の初子」を献げて礼拝しますが、「主はアベルとその供え物に目を留め」、カインにはそうされません(→へブル11章「アベルの信仰」)。怒るカインに主は「罪が戸口で待ち伏せている」と警告されます。

 嫉妬が怒りに変わったカインは「弟アベルを襲って殺し」ます(→映画「エデンの東」)。主が「あなたの弟アベルは?」と尋ねられても「弟の番人でしょうか」と反発する始末です。主は「弟の血が土地の中から…叫んでいる」(→創世記18章「ソドムの叫び」)とされ、「今やあなたは呪われている」と激しく怒られます(→ローマ12章「復讐する神」)。

 「私の過ち(→口語訳「罰」)は大きく、背負いきれません」と不平を言い「私を見つける者は…私を殺すでしょう」と恐れるカインに、主は「カインを殺す者は…七倍の復讐を受ける」として、「カインにしるし(マーク)を付け」られます(→黄門の紋所→人間の証明書)「カインの業をまねる者はもっと重い罰を受けねばならぬとされる。」(カルヴァン)

 主はカインのような大罪を犯した者も人間だとされます(→マタイ5章「悪人にも太陽を」)。人間の罪がどんなに大きくても見守ってくださる方を知る者は「御神の恵みは量り知られず」(讃85番)と歌うのです。

 





2022.10.9


人々は主の名を呼び始めた…」

創世記17


 「エデンの東、ノド(さすらい)の地」に住むようになったカインとその子孫が繁栄する一方で、アベルの後に生まれたセトとその子孫は小さい存在です(→今の教会)。しかし主はセトの子孫を覚えられます。

 ノドの地に住んだカインはみじめな生活をするのではなく(放蕩息子!)、そこで「町を築き」ます(→現代社会)。子孫も「エノクレメク」と5代目になって大いに繁栄し(→元禄文化)、「レメクは二人の妻」をめとります(「二号さん」!)。子どもたちも優秀で「ヤバル…家畜を飼って天幕に住む」者、「ユバル…琴や笛を奏でる」者、「トバル・カイン…青銅や鉄のあらゆる道具を作る」者、「ナアマ」という娘もいます(「乳母日傘」!)。「カインの家系の中にも良きことが混じっていた。」(カルヴァン)

 レメクは得意の絶頂妻たちに自慢し、「アダとチラよ、私の声を聞きなさい」と語ります(独裁者の言論統制!)。「私は受ける傷のために人を殺す…カインのための復讐が七倍なら、レメクのためには七十七倍」と暴力を無制限に肯定します(→マタイ18章「七の七十倍まで赦し」)。

 アダムとエバにはアベルの後に男の子が与えられます。エバは「代わりに…授けられた(シャート)として「セトと名付け」ます(良い予感!)。さらにセトの子が生まれ「エノシュ」(→詩90編「塵に帰る人」)と弱々しい名前が付けられます。その頃になって、この小さな群れの中で「人々は主の名を呼び始め」ます。「アベルは死にましたが、信仰によって今も語っています」(ヘブライ11:4)ということが実現しています。

 カインの子孫が繁栄しているよう現代の世界でも、主の名を呼ぶ人々の存在が大切です(コロナ後も!)。「この世の務めいとせわしく」(讃313番)とも、「我は聞くなり主の御声を」と歌う者は幸いです。






2022.10.16

その子をノアと名付けて…」

創世記32


 6章からの「ノアの洪水」の話に先立って、聖書記者は「アダムの系図」をその序文として記します(→マタイ1章「キリストの系図)。アダムからノアに至るまでの信仰者がどう生きたかを神は知、祝福されます。

 「神は…人を…神の姿に…男と女とに創造された」(→1章)とあり、「アダムは130歳になった時…セトをもうけ…800年生きて…彼は死んだ」とその生涯を記します(故人略歴!)。その長寿は恵みであって、やがて120歳に短縮されます(→6章3節)。カインの子孫のような活躍はしませんが、「セトは…エノシュをもうけ…死んだ」と信仰を継続させます。

 アダムから7代目のエノクについては特別な書き方がしてあり(→4章のカインの息子→親戚の同名人物)、「エノクの生涯は365年…神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」とあります(→列王下2章「天に上るエリヤ」)。「信仰によって、エノクは死を経験することなく天に移されました」(ヘブライ11章5節)とある通りです(信仰者の最後!)。

 ノアの父のレメク(4章のレメクは同名別人)については、「180歳になったとき、男の子をもうけ…ノア(慰め)と名付け」たとあります。「この子は、主が土を呪われたゆえの…労苦から、私たちを慰めて(ナーハム)くれるであろう」と期待したのです。「彼は稀な、通常でないことを聖霊に導かれて願った。」(カルヴァン) 彼の願いは、何か大きな成功ではなく、人々の苦しみからの解放でした(→マタイ11章「重荷を負う者」)。そういう優しい父親の子として、ノアは生まれて来たのです。

 大きな成功を願うのではなく、苦しむ人々のために慰めを与える者でありたいと思います(説教者!)。「恵み深き主の他、誰か我を慰めん」(讃525番)と歌いつつ、主からの慰めを受ける者は幸いです。








2022.10.23

 

箱舟を造りなさい…」

創世記22


 7章では「ノアの洪水」がなぜ必要だったのか、という話になります。アダムから始まった人間の罪によって世界が汚染されるのを見て、主はノアを選んで破滅に向かう世界を救うために箱舟を造らせられます。

 カインの子孫たちに「娘たちが生まれ…神の子ら(勝ち組!)は…娘たちの美しいのを見て…選んだ者を妻」(→4章「レメクの妻たち」→「3号、4号さん」とし、「ネフィリム」(→民数記13章)のような大男が生まれる時代です。主は「地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛め」て、「人を地の面から消し…家畜…空の鳥まで」新しく造り直そうと決断されます(→「清濁合わせ飲む神ではない→現代の世界も!)。それでもこの世界の悪の問題は解決しません(→8章21節「もう二度としない」)。

 アベルの子孫の中で「ノアは主の目に適う者」であり、「その時代の中で…正しく…全き人…神と共に歩んだ」信仰者でした。「それはすべての部分について完璧な者というのではなく、公正さを心から慕う者ということである(カルヴァン) 「すべての肉なる者が…その道を腐敗させた」中で、彼は素直な人物です(→9章「酔っ払って裸になるノア」)。

 主なる神は「あなたは…箱舟(→英語「アーク」)を造りなさい」と、「長さは三百アンマ(300×45㎝⁼135m)…屋根を…一階…三階を造り…すべての肉なる者の中から二匹ずつ…彼らの食物…」と細かいのです。「ノアはすべて神が命じられたとおりに…そのように実行した」と、軽いフットワークで働きます(→ルカ16章「小さな事に忠実な者」)。

 今も主は「箱舟を造りなさい」と言われます(→ウクライナの教会「福音を広める働きを止めることはありません」)。「栄に満ちたる神の都」(讃194番)は「世人の嘲(あざみ)に会えども大丈夫なのです。









2022.10.30


箱舟に入りなさい…」

創世記8:22


 7,8章では、いよいよ洪水が始まって、それが終るまでの話になります。主なる神は、洪水によって世界を造り直そうとして、ノアとその家族と動物たちを箱舟に入れて守られます(→「ギルガメシュ叙事詩」)。

 すっかり準備が整うと、主は「あなたと家族は皆、箱舟に入りなさい」と言われ、「ノアは主が命じられたとおりにすべてを行」います(→マタイ24章「洪水前の世界」)。「第二の月の十七日(春?)…深淵の源がすべて裂け…天の窓が開かれ…雨は四十日四十夜、地上に降」ります。主は「その後ろの戸を閉じ」て守られます(→ヨハネ10章「羊の囲い」)。

 「水は増して箱舟を押し上げ…山々は覆い隠され…百五十日間、地上にみなぎ」りますが、「神は…忘れることなく…風を送られ…水の勢いは収ま」ります。「第七の月の十七日に、箱舟はアララト山(→黒海の近くの5144mの山)の上にとどまり…第十の月の一日に山々の頂が現れ」たので、ノアは先ず烏を偵察に飛ばし、さらに鳩を飛ばします。夕方になって「鳩はオリーブの若葉」をくわえて帰って来ます(平和と希望の象徴!)。

 「第二の月、その月の二十七日に地は乾ききった」ので、ノアとその家族と動物たちは箱舟の外にでます(1年と10日!)。「ノアは主のために祭壇を築いて…焼き尽くすいけにえ」をささげて礼拝し、「主は宥めの香りを嗅」いで「人のゆえに地を呪うことはもう二度としない」と決心されます。「人が心に計ることは、幼い時から悪い」と知りつつもそうされるのです。「神は地上に住む人間の共同体を欲したもう。」(カルヴァン)

ノアにとっても「箱舟に入りなさい」という主の招きは躊躇なく従えるものではなかったかも知れません(→使徒16章「主イエスを信じなさい」)。「み恵み豊けき主の手に」(讃294番)と歌いつつ従う者は幸いです。